からだに優しいもの

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スパイスの歴史

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人類がスパイスを生活の中に取り入れ利用してきた歴史は長いです。
紀元前7000年には南米の山岳地帯でカイエンヌ(トウガラシ)が
栽培されていたことが明らかとなっていますし、
インドでは紀元前3000年頃は既に黒コショウやクローブなどが使われていたことが
記録に残っています。
 
日本においても、奈良・正倉院の御物に
「胡椒」や「クローブ」、「桂心(=桂皮、シナモン)」の名が残っていたことから、
少なくとも700年代にはスパイスが伝来したと考えられます。
 
古代の人々は、刺激的な香りや味を持つスパイスを、
調理や食材の保存だけでなく、
怪我や病気を防ぎ治療する医療用あるいは呪術・信仰に有益なものとしても
利用しました。
 
これは、食品の腐敗を防ぐ防腐効果や、
虫やハエが嫌う揮発成分や芳香成分などの効果を
経験から学び取り伝承してきた知恵であり、
味や香りといった実態の掴めないものへの畏怖でもあったと考えられます。
 
インド及び東南アジア諸国で栽培されたスパイス類は、
アラブやフェニキアの商人達によって陸路で西へと運ばれ、
ギリシャや地中海沿岸地域にスパイス文化をもたらしました。
そして更に海路を通じ、ヨーロッパ地域へと広まっていったのです。
しかし相当の日数を費やし、人手を介して運ばれてきたスパイスは貴重品であり、
調理にふんだんに使えるということはありませんでした。
特に肉類の保存に珍重された黒コショウ(ブラックペッパー)は、
金と同じ価値があるものとして通貨の役割を担っていたこともあり、
ギリシャの上流階級の人達は純銀製のポット(壺)に入れて大切に扱っていました。
 
人々の生活で欠かせないものとなったスパイスは貿易の主要な取引品目となり、
商人達はスパイスを求めて、アジア各地や新大陸へと進出していきました。
 
こうして冒険者達によって海洋貿易路が開拓され、
スパイスが比較的たやすく手に入るようになると、
ヨーロッパではスパイスやハーブが薬用としてだけでなく、
肉の貯蔵用として一般大衆にまでその利用が広まり、大量に消費され、
スパイスやハーブの栽培はヨーロッパでも行われるようになったのですが、
どうしても手に入らないものとして、
「コショウ」、「クローブ」、「ナツメッグ」があり、
ヨーロッパ各国でその争奪戦が激化し、
東南アジアにおけるスパイス戦争に発展しました。
 
このスパイス戦争は、
フランスが1770年頃にクローブやナツメッグなどの利益を生む苗木を
オランダ官憲の目をかすめて盗み出し、
フランス支配下のフランス島(マダガスカル島)での移植に成功したことにより
終焉を迎えます。
その後、移植先は更に南米、西インド諸島などへ広がっていきました。
イギリスもまたクローブやナツメッグをペナン島に移植しており、
更にアラビア人も入り乱れ、てスパイスの苗木の移植は一層進んでいきました。
こうした栽培地の広がりとともに、
ヨーロッパ各国による香料諸島(モルッカ)の領土化植民地政策は意味が薄れ、
19世紀中頃には原産地より移植地での生産高が増大し、
スパイス戦争は自然に終焉を迎えることになりました。