からだに優しいもの

とにかく、優しいものです。

イブン・シーナ

f:id:linderabella:20201018163621j:plainf:id:linderabella:20201211153806j:plain

 
イブン・シーナ(アウィケンア、アヴィセンナ)(980〜1037)は
10世紀末にペルシャ(現在のイラン)に生まれた科学者です。
当時、イスラム世界最高の知識人と呼ばれ、世界の大学者と評された人物でした。
 
イブン・シーナは
「哲学者」「医学者」という肩書で紹介されることが多いですが、
数学、物理学、化学、地学、生物学、気象学等の自然科学から、
政治学軍事学イスラム神学、音楽、博物学に至るまで
あらゆる分野の学問に精通した科学者でした。
 
イブンシーナは980年8月、サーマーン朝(現在のイラン東部、
首都ブハラ近郊のアフシャナに徴税官の息子として生まれました。
10歳の時には既に文学作品やコーランを暗証していたとされる神童で、
父によって早くから教師をつけられ、哲学、天文学、医学などを学び始めました。
習得があまりに速く、教師の知識をすぐに上回ったと言われています。
 
16歳になると早くも医師として患者の診察を始めました。
後に著書で「医学は簡単で習得するのにはさして時間はかからなかった」と
述懐しています。
 
まさに天才であったイブン・シーナは、「錬金術」の研究に取り組む中で、
「水蒸気蒸留」によって植物からエッセンシャルオイル精油)を取り出す方法を
確立したとされています。
 
 
 
水蒸気蒸留法の原理自体はとても簡単なものです。
原料植物の中に水蒸気を通し、
水蒸気と一緒に気化したエッセンシャルオイル成分を
冷やして液体に戻すことで取り出すものです。
簡単な原理であったため、おそらくイブン・シーナ以前の時代にも
水蒸気蒸留によってエッセンシャルオイル精油)が製造されたことはあったと
考えられるため、
通常イブン・シーナのことを水蒸気蒸留法の発明者とは呼びませんが、
彼の功績で確立されたエッセンシャルオイル精油)の製造技術は
中東からヨーロッパに広まり、その後のアロマテラピー発展の萌芽となったのでした。
 
 
イブン・シーナの生涯
医師としての名声を高めていったイブン・シーナは、サーマーン朝の君主の病気を治療したことから信任を得て、王室の図書館を自由に使うことを許されます。
18歳までに全ての蔵書を読破したと言われ、
自ら「18歳にして全ての学問を修めた」と述懐しています。
驚くべき天才ぶりが伺えます。
 
イブン・シーナが19歳の時、サーマーン朝が滅んだため、
ブハラを去り、カスピ海の東岸一体のホラムズ地方に移り、
その地の統治者マームーン2世に仕えて『医学典範』の執筆を開始、
その後、カスピ海南岸のジュルジャーン、テヘラン近郊のレイと執筆活動を続けながら居を移し、ブワイフ朝が統治するハマダーンに至ります。
ハマダーンでは、ブワイフ朝の君主シャムス・ウッダウラの侍医となり、
その後能力を買われて宰相となります。
昼は政務、夜は講義と研究、執筆を行うという多忙を極める日々を送りました。
1020年にハマダーンで『医学典範』を完成させます。
 
『医学典範』(ラテン語に翻訳され、ラテン世界では『カノン』(canōn))は
ヨーロッパでは17世紀まで、インドでは20世紀までの長きに渡り、
大学のテキストとして使用されてたほど、当時の医学に大きな影響を与えました。
 
 
 
イブン・シーナは『医学典範』の他にも、
『治癒の書』『指示と警告』『救済の書』『科学について』
『動物の諸本性』など膨大な著書を残し、
イスラム世界からヨーロッパまで多大な影響を与えました。